上海発 第三回 上海歴史探訪 上海に残る大邸宅(公館)4箇所をめぐる歴史探訪:王伯群公館・大公館・上海工芸美術博物館(陳毅公館)・白崇禧邸 |
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| 参考料金(大人1名様): | 100元 | (子供1名様): | お問い合わせ | 日程:1日 11月29日(土曜) 13:30~18:00 |
当社ホームページ「魅惑の観光スポット」に掲載された上海の歴史的建物の物語は、既に20編を超えました。お読み頂いた方々から、是非記載された訪問箇所へ実際に行ってみたいとの希望が出されました。そこで、私たちは上海歴史や建築の専門家ではありませんが、皆様とご一緒に魅力ある上海の建物を探訪し、皆様と知識や情報の交換を図りたいと願いました。
今回の探訪では、著名人や高官の官邸、公館4箇所を巡ります。1930年、40年代の上海租界の華麗な姿を、その歴史と共にご一緒に辿ってみたいと願っています。できましたら、事前に関連する当社ホームページの記事をお読み頂いたうえで、ご参加ください。また私たちの情報の不足分や誤りを、皆様のお持ちの情報で補って頂けたら幸いです。
| 11月29日(土) | 13:15 上海茂名南路 上海ガーデンホテル 13:30 出発 |
| 訪問箇所 |
王伯群公館(愚園路1136弄31号) 又の名を“汪公館”と呼ばれる。国民党の交通部長・王伯群が溺愛した若い二度目の妻・保志寧のために1934年に建設した豪邸。現在は、長寧区少年宮として、土曜日曜に子供たちのクラブ活動に使われている。 部屋数32室、南面は、英国ヴィクトリア朝ゴシック様式、左右両面と北面は、欧州城砦建築様式。南に面した庭から2階テラスへ、二本の優美な階段が立ち上がっている。メンテナンスは必ずしも良くないが、王伯群の保志寧に対する愛情が伝わってくる。しかし彼女が王との結婚に同意したのは、ただこうした富に対する彼女の野望を実現するためだとのスキャンダラスな噂に、彼女は生涯悩まされることとなった。 後にこの公邸は、1940年、南京に日本との傀儡政権を造った汪精衛(汪兆銘)の上海での別邸となり、国民党と共産軍、日本軍の特務機関が三つ巴のスパイ、暗殺を繰り返す拠点の一つともなった。 大公館餐庁・東湖賓館7号館(淮海中路・東湖路口) ユダヤ人Ray Joseph の1920年代の私邸。彼は投機的な株式の売買と外国為替のプロであり、当時、上海の外国為替市場の半分を牛耳っていたと言われる。 1940年代、汪精衛が南京政府を樹立すると、国民党行政長官を務めた陳公博は上海特別市の市長に就き、この邸宅を市長官邸として利用した。文化大革命時には、四人組みの1人・王洪文が二階左側の部屋を執務室とした。 優美な石柱と鉄製の飾りの付いた塀に囲まれた三階建ての私邸は、アールデコ様式の典型を示している。残念なことに、最近は一階に張り出しテラスが増築され、庭にも新たな建物が加えられたたが、玄関ロビーや1階奥の重厚な居間、階段踊り場のステンドグラスなど、当時の優雅な姿を十分に見ることができる。 今は東湖賓館7号館として、西郊賓館や瑞金賓館と同じ東湖グループの管理下にあるが、東湖賓館一号館の旧オーナーで青帮の親玉・杜月笙とは、元来無関係である。 上海工芸美術博物館・旧陳毅邸(份陽路79号) この白亜の庭園住宅は、ランス租界の中でも最も華やかな建物の一つ。ハンガリー生まれの建築家、Ladislaus Hudec の設計により1905年に建造された。当初工部局でも最高位のフランス・トラム社長,兼上海電力会社社長の住宅として建てられ、その後はフランス租界産業長長官16人が官邸として利用した。 1949年5月、赤軍を率いて国民党から上海を開放した陳毅将軍は、共産党政府の成立後に最初の上海市長となり、市長官邸として約10年この優美な邸宅に住んだ。フランスで4年間苦学し、その地で1923年に共産党に入党した陳毅にとって、この邸宅での優雅な生活は、彼が正に夢に見たフランス的な生活そのものであったであろう。 半地下の1階から2階へ、緩やかな曲線を描いて石段が2階テラスへと伸びる。そこから東側に広がる池のある庭園と植え込みが眺められる。2階と3階の中央部は、半円形に張り出して、白い花瓶のような優美な印象を与える。2階は上海産の工芸品の展示室となり、3階は優れた工芸家の作業場となっている。刺繍室は、元来マスター・ベッドルームであった。西側のドアを開けると、そこは窓に見事なステンドグラスが嵌められた浴室で、銅製パイプで組んだ当時のシャワーが見られる。 白崇禧邸(份陽路150号) 工芸美術博物館のすぐ近くにある、広い庭に面したガラスの花瓶のような優美な邸宅は、国民党の将軍白崇禧(1893~1966)の住宅であったところから、“白公館”と呼ばれた。しかしここは、元来1920年に建てられたMichel Speelman の邸宅であった。彼は公金を横領して逃亡した過去から身を起こし、フランス租界きっての富豪となった。1921年万国貯蓄協会の董事長に就くと、中国初の富くじ付きの預金制度を創設し、1千万人以上から2.5億元もの資金を集めた。上海の30以上の銀行の預金総額を合わせても、5千万元程度しかならなかった時代である。その華麗な邸宅は、現在Ambrosia として、フランス料理と日本式焼肉レストランとして、華やかに蘇っている。 その後、北洋軍閥政府の秘書長・梁鴻志が同邸宅を引き継いだ。1945~1848年の国民党政権の間は、国民党国防部長・白崇禧が住んだ。白崇禧は1927年蒋介石が起こした反共産2.14クーデターの首謀者として悪名高く、彼への激烈な告発文が、龍華寺烈士記念館に残されている。彼は国民党の敗北を受けて台湾へ逃亡する前の最後に一夜を、ここで過ごした。 |
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