
今年、桂林・陽朔を旅したついでに、天にまで達する棚田で有名な龍勝の龍脊村と平安村、更に
トン 族の巨大な木造建築;鼓楼と風雨橋が見られる三江の程陽村を訪ねた。普段中々行かれない所なので、是非皆様にご紹介したい。
龍勝は広西壮族自治区桂林市の下の県。龍脊村及び平安村は正式には、龍勝県の下の和平郷に属する龍脊寨及び平安寨という。 広西壮族自治区は面積だけはイギリス並の広さだが、人口4,900万人。そのうち壮(チワン)族、瑤(ヤオ)族、苗(ミャオ)族、トン族など11の少数民族が省人口の40%、1900万人を占める。1人当たりGDPは6,776元≒10万円で、上海の1/8。中国の省或いは自治区でいうと、下から3番目に位置する。
桂林-龍勝は国道321号に沿って快適な旅である(170k、2.5時間)。龍勝から平安寨へ行く道路は林道で、少数民族の寨(鎮の下、日本の字に相当)が点々と見える。
林道途中で瑤(ヤオ)族の黄洛村で長髪族を訪ねた。 1メートル以上の毛髪女性が半数以上おり、平均1.5メートル。最長1.9メートル。全員、髪の毛を頭の上に巻きつけている。巻いた後ターバンのような布で隠している者が独身女性。普通に巻きつけている者が既婚女性。巻きつけた正面に髪のこぶを作っているのが子持ち女性だ。(これが、こぶ付きの語源か?)
平安寨の入り口からは徒歩。山道を標高差400メートル程度登る。中腹まであえぎながら登り、平安酒店(食堂)で昼食。龍脊寨までは更に急な登り道である。結構きつい。希望すれば、2人で担いでくれる輿もある。やっと龍脊寨まで辿りつき棚田を見た。日本のそれとは規模が違う。見渡す限りの全ての山が頂きまで田畑になっている。天まで続いて、圧巻である。
どんな狭い所でも棚を作り、耕している。中には二畝しかない田んぼもある。如何に生活が大変な所か分かった。「ある百姓が田を耕した後、全部終わったか確認のため田の数を数えたら、どうしても1つ足りない。諦めて蓑を担いだらその下に田が隠れていた」という昔話がある。
約 100kmで、2~3時間で着く筈であった。道は桂林-龍勝間と同じく国道321号であるが、龍勝を離れた途端道路工事のため道がなくなった。旧道を掘り返したままで、新道を作る予定地を走るのだ。お陰で5時間近くかかった。今年の8月は、3週間も交通止めだったとか、通れるだけ幸せか。道路修理の完成は来年まで待たねばならない。
龍勝からの道は、潯江といわれる大河沿いの道路である。道路はひどいが、対岸には様々な少数民族村が見えて景色はよい。三江のホテル(三江賓館)に入った時には真っ暗闇であった。街灯もなく商店やレストランも閉まっているのか電気を消しているだけなのか。もちろん、ネオンもなく怖いほど暗い。上海とはえらい違いだ。 ホテル室内の照明だけが蛍光灯ランプのお陰でやたらと明るく思われた。
三江とは、3つの江(潯江、手偏に客江、苗江)があることからつけられた地名である。人口30万人(内8万人が都市戸籍)。5民族が住むがその内侗族が60%を占める。侗族は、隣の貴州省にまたがって250万人もいる。2002年に三江侗族自治県制施行50周年を迎えたばかりである。
ここからは、桂林から行ったガイドに加えて、侗族のガイドが付いた。
トン族は、風雨橋や鼓楼など大型の木造建造物を作ることと織物で有名である。風雨橋は橋を風雨から守るために屋根瓦を載せたもので、橋脚の上に楼閣があり、それらが屋根付きの橋で結ばれている。鼓楼はトン族の村の中心となる象徴的な建造物で、政治や宗教の場となるだけでなく、普段の憩いの場にもなっている。
県施行50周年を祝ってできた「三江鼓楼」は、六角27層、高さ46mもの大建築。世界一の木造の塔と言われるが、たった3ヶ月で組み立てたと言う。材料は屋根瓦を除いて、全てこの地方特産の杉材。釘は全く使わず昔どおりの作り方である。内部は吹き抜けで25階まで登れる。しかし各階には床も天井もない。建物の外壁に沿って急な階段がついているだけである。
何階と呼んでいるのは、屋根の数だけで言う。その25階までは、見事な太い杉の通し柱が4本立っている。
40mもの柱を作る杉はもう近辺で取れず、貴州省から1本10万元で買ったそうだ。樹齢は1000年前後かと聞いたら、たった108年。温暖地方とはいえ、如何に成長が早いかお分かりだろう。何しろ、米が年2回も取れる土地である。塔の総工費は180万元、通し柱を除いたら140万元(約2000万円)だけ。殆どが勤労奉仕で作ったようだ。
25階は展望しやすくできており、街はもちろん潯江と支流の展望がよい。屋根の各先端には、鳥の置物が中心部を向いて座っている。元々は鳥かごをイメージされた建築物の名残だと言う。確かに遠くから見ると鼓楼全体が上に行くに従い窄まっていて、鳥かごのように見えなくもない。
三江県の中で、最もトン族の特徴を持っている程陽寨を訪ねた。
人口9,400人。山の多いこの地方は実に勤勉に田畑を耕している。緑の山々と水田。既に刈り取られた田では、鶏とアヒルの親子が楽しそうに群れていた。村々の間には小川が流れ、ここには、今は忘れた日本の農村風景がある。
雨が多く、豊かな森林資源を利用した木造建築物が特徴だ。特に寨の中心にそびえる鼓楼と、風雨橋は他では見られない独特のもの。何れも、釘は使わず設計図もなく古老の指揮のもと、村人総出で作り上げる。数年前にこの模様をドキュメントにして、NHKで放送していた。
民家も含めて釘を使わないのは、価格が高いのと錆びるからであろう。湿気が多いだけでなく、木材(全て杉)の乾燥が不十分だからである。木組みだけでもたせているから、多分耐震性もあるだろう。設計図が無いのは、書けないからであろう。建築中の様子を見ていたら、全て現場・現物あわせでやっていた。斜面が多く、しかも、柱や梁が自然木に近い物を使っているからその方がよいのでもあろう。
面白いことに柱や梁の芯だしは、墨壷を使っていた。形こそ違うが日本の物と基本は同じだ。 スケール(モノサシ)は、細長い木に大雑把な目盛がふってあるだけ。出来た建物は、当然隙間だらけだが温暖なここでは問題ない。
小寨毎に、鼓楼と風雨橋が競いあうように作られていた。豊かな寨では、寨の入り口に先ず2階建てで下が通路のある門がある。門といっても扉も塀もない。上部は3層の屋根で飾られており塔のようなもの。傍らに寨名表示石塔があり、其処から寨が変わったことが分かる。
門を潜り抜けると、幅0.5~2メートルの細い道が民家軒下をくねくね続いている。山麓でしかも高低差があるので徒歩でしか通れない。
何故、ガイドが2人になったかは、寨を廻って分かった。道が分からない、標識もない。道 を聞くにも言葉がトン語で通じない。農家の専用私道みたいな道は、見知らぬ者は歩けない。トン族のガイドと桂林からのガイドは、何語で話しているのか?桂林語だそうだ。桂林語は広東語に似てはいるが全く違うそうだ。ここまで来ると北京語は通用しない。中国は広い!
山村だが、各寨の中心部だけは広く平らになった広場があり、そこに鼓楼が建っている。8つの小寨があるので、8つの鼓楼がある。広場が狭い土地しか確保できない寨は、小さな鼓楼だ。小さな鼓楼は2階建て、大きな鼓楼は13階建て。といっても吹き抜けである。屋根だけが2層~13層、瓦葺。瓦といっても薄灰色の薄く軽量なもの。これを漆喰で固めてある。白と灰色、木材の茶色とのコントラストがよい。高いものは20メートルぐらいある。
内部は最上部に太鼓を据え、村人への様々な合図に使っていた。今太鼓は下に置いたお飾り。元太鼓が吊ってあった所までは細いはしごがあるが、危険で登らせてくれない。下の広間には、囲炉裏を囲んでベンチ風の椅子があり、集会所兼コミュニケーションの場となっている。内部の壁には、寄付金一覧表が掲示してある。日本での村の鎮守様と同じだ。老人の溜まり場でもある。どこの鼓楼にも、女性はいなかった。いるのは古老だけ(駄洒落?)。それにしても、鼓楼を建てるエネルギーはどこから来るのだろうか。
程陽寨に8つの小寨があるが、風雨橋は以下の5つである。
①永済橋:国の重要文化財で、上に4~5層の櫓が5つあり一番立派である。
長さ64.4m、幅3.4m、高さ10.6m。1920年に10年かけて完成、世界の四大歴史名橋の一つとか。橋が程陽寨の入り口であり、ここで、入村料兼橋通行料を取られる。近年、修復し、漆喰も塗りなおした様子で綺麗過ぎるようにも見える。構造は桂林博物館にある模型や写真で見るのと同じ。周辺には、土産物屋その他、邪魔な建物はない。さすが重要文化財!と思いきや、橋の中はお土産屋で一杯。まるで上海の歩道橋と同じである。うるさくて早々に渡りきる。ここまでは、観光客が多いということらしい。
橋の入り口正面上に「永済橋」の看板あり、見事な揮毫。郭沫若氏の書だそうだ。
② 合龍橋:県の重要文化財。上の櫓は3つ。
サントリー烏龍茶のボトルを飾る写真で有名となった。櫓が少ない分だけ短いが、重厚である。惜しいのは、橋のたもとに建築中の民宿らしき建物だ。お蔭で
1つの櫓が見えない。橋の中には物売りも少なく、押し付けがましくない。主婦が団欒していた。
③ 普済橋:上の櫓は2つ。
入り口階段を上りきった所で、番人らしい老人が早めの昼飯で夢中だった。料金は要ら ないようだ。橋の真ん中では、老人が傍らに大きな石盤を置いて将棋中。あの石盤は何かと聞いたら、寄付金奉加帳とのこと。橋の修繕費を捻出するためらしい。
橋の姿もよいが、老人以外は誰もいない、趣のある橋なので、是非ここまで足を延ばして欲しい。新しい石盤奉加帳に記載されているはずの、私の名前も探してみて欲しい。
④ 万寿橋:上の櫓は1つ。
誰も通らないし、中に誰もいない。多分、村のメインストリートから外れているのであろう。文化財にもなっていないので、いずれは朽ち果てるのか。惜しい!
⑤ 平安橋:上の櫓は1つ
万寿橋同様小さな橋だが、居住区に近い分だけ生活の臭いがする橋である。橋の看板は見る角度で文字が変わるようになっている。正面から見ると「平安橋」。右と左から見ると平和と安全を祈願する文字だ。但しいずれも下手な字で、重文の永済橋とはえらい違いだ。
ここらはお茶でも有名で、お茶畑を案内してもらった。日本のそれと同様に、低く見事に刈り込んでいた。先日龍勝でも見たが、そこでは高く刈り込んであった。わずか100kmでも民 族が変わると、作り方も変わるようだ。
三江から桂林への帰り道は、先ず一旦南へ200km、柳州市へ行く。そこから有料高速道を約170km北上して桂林に帰った。三角形の長辺2つを走る大迂回ルートだが、三江~龍勝間の工事中の悪路を避けるため。様々な岩山が見られる景色のよい快適な道路であった。
少数民族は今もなお、言語・風俗習慣・宗教・住宅建築や民族衣装など独自の文化を頑なに守って暮らしている。彼らは我々に、本来自然と共に生きるべき生活の、忘れ去られた原点を思い出させる。だからこそ、我々は少数民族の旅に心惹かれ、限りない懐かしさを覚えるのだろう。彼らは大部分が山奥の不便な所に住むため、そこを訪れる旅は、けっして楽ではない。しかしそれは、限りない優しさと懐かしさに満ちた思い出の旅となる。
今回の旅で一番感じたことは、地方格差である。経済・意識・モラル・風土、全てにおいて差が大きい。一つの国でいること自体が不思議に感じた旅でもある。数年おきに何回でも行きたい所となった。単なる季節の違いだけでない何かが得られる地方だろうから。