旧横浜正金銀行 上海支店(外灘-中山東路24号)

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旧横浜正金銀行 上海支店(外灘-中山東路24号) 黄浦江に面した外灘には、旧香港上海銀行を始め世界各国の歴史的な建築群が軒を並べている。その中で、規模は比較的小さいが日本にとって見過ごせない大事な建物がある。旧横浜正金銀行だ。横浜正金銀行は、日本に於ける外国商人や外国銀行の専横に対抗して、日本の金融安定と貿易金融の発展を図るために1879年に設立された。資本の1/3は政府出資であった。1899年に民間銀行に移行。為替取引に特化した特殊銀行としての位地を確立する。日露戦争では外債を発行。海外に20支店を開設。第1次世界大戦では連合国の円貨公債の発行銀行となった。

1920年には海外支店30行。香港上海銀行、チャータード銀行を並ぶ3大為替銀行に成長する。日本を代表する金融機関として、中国大陸への資本輸出に積極的に乗り出し、日本金融の大陸進出を支えた。

上海への進出は、1893年に南京路に仮店舗を出店したことに始まる。その後業務の発展に伴い外灘32号に支店を開設した。

日清戦争(1894~95年)以後日本の対中国貿易の急増と工場進出に伴い、上海における為替取引を中心とした日本の主要金融機関となる。特に日本政府の命により中国からの戦争賠償金収受と対中国借款業務を担当した。

1923年、外灘24号に居を構えていた沙遜(サッスーン)洋行の土地を購入、現在の地に移転した。

1924年8月新社屋完成。英国公和洋行(Palmer & Turner事務所)設計。6階建て鉄筋コンクリート造り。敷地面積2500平米、建築面積18932平米。建物正面は古典主義建築様式、窓に花崗岩を飾り、2~5階部分に2本のイオニア式石柱、両側にバルコニーを配する。5階上部石面に英文社名:The Yokohama Special Bank Limited の名称を残していたが、現在は残念ながら削除されている。5階上部に付けられたギリシャ風のひさし(軒)の横線が、巨大な柱を中心とした縦の線と交差して建物を3段に区分し、荘厳な印象を与えている。内部は大天井まで届く2列の円柱が奥まで連なり、石柱間に据えられた高い長方形の明り取りからは外光が降り注ぎ、外の印象とは違って広々とした空間を作っている。

旧横浜正金銀行 上海支店(外灘-中山東路24号) 日本が太平洋戦争に負けたことで、同銀行は敗戦国日本の資産として国民党政府に没収され、名称も中央銀行と改名、建物も国民党中央大楼となる。中華民国成立後は、中国人民銀行(日本銀行に相当)華東区支店。銀行機構再編に伴い1956年上海市紡織工業局が入居した。現在は工商銀行営業部が利用している。

日本における横浜正金銀行は、1933年世界金融恐慌に対応して、政府銀行に戻ったが、第2次世界大戦敗戦後GHQの指示で閉鎖、東京銀行に改編された。

その後1996年三菱銀行と合併、更に2005年にはUFJ銀行とも合併し現在の「東京三菱UFJ銀行」となったことは、よく知られている。 現在横浜中区馬車道にある神奈川県立博物館は、「旧横浜正金銀行本店本館」の表示を残す。一方上海の外灘に残る建物も、ともすれば林立する歴史的建築物に隠れ、列強に伍してアジアの金融センター上海に進出した華やかな過去を伝える伝手もなく、僅かにその建物に残照を残すのみだ。過ぎ去った過去の栄光は、華やかであればあるほど、甘酸っぱい感傷を伴う。上海には1930~40年代に現在の3倍以上、10万の日本人が住んだ。しかし1932年・37年の上海事変、1941年日本軍による上海占領、45年敗戦と日本は破滅の道を歩んだ。近年再び日本企業と企業戦士が大挙して押し寄せている。しかし過去の歴史を振り返る者は少ない。旧横浜正金銀行を見るにつけ、私どもは今度は何を残すことが出来るのかと思わずにはいられない。

備考

※「老上海経典建築」-?承浩・薛順生編、同済大学出版社から抄訳。

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